●公共温泉の危機管理を考える 〜レジオネラ症感染事件から学ぶ〜 ●

以下の文章は、私がとある技術書に執筆した原稿を平易にまとめたものです。
ちなみに、その技術書は温泉に関する本ではありません(ヒント:オーム社発刊)。

組織の危機管理の視点で温泉を考えてみたくなり、
宮崎県の日帰り温泉施設でのレジオネラ症感染事件を題材に調べてみたものです。


■ レジオネラ症集団感染j事件の経緯 ■

宮崎県日向市のサンパーク温泉「お船出の湯」(以下、サンパーク温泉と書きます)で
発生したレジオネラ症の集団感染事件は、死者7名、発症者300名あまりという
わが国での最大のレジオネラ症感染事件に発展しました。

その事件の経緯はおよそ次のようなものです。

<事件の経過>

2002年

7月

1日

日向サンパーク温泉が正式に営業開始。

7月

18日

日向保健所から次の疑惑により、翌19日に水質検査の実施を連絡する。

−レジオネラ症に似た症状の患者が3名いる。3人とも当施設の利用者。

7月

19日

日向保健所の立ち入り検査の結果、浴槽内の残留塩素ゼロが判明。
保健所は営業自粛を要請。

7月

20日

業者が設備の点検を実施。

7月

23日

連休で予約が多いことを理由に23日まで通常の営業を継続。
感染の拡大を懸念し、保健所から再度、営業自粛が要請。

7月

24日

25日まで臨時休業し、清掃、消毒を実施する。
−レジオネラ菌感染の疑いなる患者が新たに10名出た。

25日

浴槽水及び患者1名からレジオネラ菌を検出。
日向保健所から日向市長あてに営業自粛勧告文を提出。
宮崎県がレジオネラ患者発生について記者発表。

7月

26日

7月22日に女性1名がレジオネラ症により死亡していたことが判明。
宮崎県福祉保健部レジオネラ症対策本部を設置。

7月

30日

患者と浴槽内のレジオネラ菌のDNAが一致し、感染源が断定。
日向保健所が、日向サンパーク温泉を60日間の営業停止処分とする。
宮崎県警が、業務上過失致傷容疑で日向サンパーク温泉と日向市商業観光課を家宅捜索する。

8月

5日

日向市がレジオネラ症被害対策室を設置する。

9月

2日頃

日向市が被害者との補償交渉を開始する。

8月

12日

宮崎県が原因究明対策委員会の設置を決定。

9月

15日

延岡市の60歳代の女性が死亡し、ついに死者7名となる。

10月

21日

日向市が原因究明等委員会を設置する。

12月

16日

日向市長が翌年9月の施設再開する意向を発表。

12月

25日

支配人の副館長への降格、および3月末での解雇を決定。自ら施設の社長でもある市長は、市長職も社長職も辞任の意向がないことを表明。

2003年

1月

31日

日向市が改善計画書を日向保健所に提出。保障金総額は4億2400万円。

2月

28日

宮崎県警が業務上過失致死容疑で、市長ら5名を書類送検。

11月

13日

1年4ヶ月ぶりに営業を再開。営業停止は450日間に達した。

2004年

10月

27日

木村元支配人に有罪判決が出る。

<被害> 死者7名を含む被害者総数は295名


■ レジオネラ菌とは? そして、サンパーク温泉では ■

レジオネラ菌は自然界に広く存在し繁殖している菌で、
20〜50度の温度を好み、36度前後が繁殖の最適温度です。
給水・給湯設備、冷却塔、加湿器、蓄熱槽で繁殖することが多く、
人から人への感染はしませんが、菌を含んだ水滴を喉や肺に取り込んで感染し、
お年寄りなど抵抗力の弱い人が発症しやすいといわれています。
そのため、源泉を再利用する循環ろ過方式の温泉では要注意です。

サンパーク温泉では源泉の湧出量が毎分127.3リットル(動力)と少ないため、
循環ろ過装置を導入し塩素殺菌しながら源泉を再利用していました。
この循環ろ過装置は機能していないと、逆にレジオネラ菌に絶好の繁殖場所を
提供してしまう
ことになります。そういった意味で循環ろ過装置は両刃の剣です。

しかし、サンパーク温泉ではその後の調査で、装置の維持管理及び衛生管理が
ずさんであったことが明らかになってきました。
しかし、それ以上に、被害を拡大させたた背景には、
(1) レジオネラ症に対するトップの知識不足
(2) 温泉従業員への衛生管理教育の不足
(3) 公共温泉としてのリスクの認識の欠如

があったといえます。

■ 何が問題だったのか? ■

 ここでで私が指摘したいのは、施設の不備や衛生管理ではありません。
入浴客にレジオネラ症感染の疑いがあることを、保健所から知らされていたのに、
その後5日間(休館日1日含む)も営業を継続していたことです。
19日に浴槽内の残留塩素がゼロであるということは、
レジオネラ菌を繁殖させたお湯を循環していた危険性が高いということです。

温泉施設は本来、人々に健康とくつろぎを提供する公共施設です。
その視点に立てば、利用者の健康が危険にさらされている状況であるならば、
温泉施設や入浴客にとって、深刻な危機と認識するべきでしょう。

■ さて、自治体の対応は? ■

この事件で、日向保健所は2度にわたりサンパーク温泉に営業自粛を要請しています。
しかし、サンパーク温泉側は施設の予約状況を理由に営業自粛を断っていました。
日向保健所が、サンパーク温泉社長の日向市長に、
営業自粛勧告文を提出したのは7月25日です。
さらに、この事件の宮崎県の記者発表も同じ7月25日でした。
すなわち、18日から23日(24日は休館日)にかけては、
レジオネラ菌の繁殖を知らずに人々が入浴していた
ことになります。

温泉は公共性の強い施設です。
ですから、宮崎県が強い強制力を持って営業を自粛させることはできなかったのか?
住民に対して早い段階から注意を喚起することができなかったのか?
という課題を強く感じます。

■ サンパーク温泉では、その後・・・ ■

 このレジオネラ症感染事件で、宮崎県は各関係部局や専門家で構成する
「宮崎県福祉保健部レジオネラ症対策本部」を設置し、対応策を協議しています。
その結果として、日向保健所に提出された改善計画から、
いくつか特筆すべき点を取り上げてみました。

(1) 衛生管理マニュアルの整備と職員教育

この事件を契機にサンパーク温泉では、日向市、管理会社と協働した
衛生管理を徹底させるための管理マニュアルを作成しています。
この衛生管理マニュアルは、日常での浴室、浴槽、脱衣所はもちろん、
源泉タンクや除鉄槽、貯湯槽にいたる細部までの清掃・消毒及び機器操作の手順を
明文化し、その管理記録を残すこととしていいます。
また、発生するリスク(危害)とその発生箇所や原因、防止措置も
衛星管理マニュアルに記載されています。
さらに加えて、従業員の資質向上を改善計画に取り上げ、
衛生管理に関する知識と意識の徹底をはかる研修を行うこととしています。
衛生管理マニュアルによるリスク管理は合理的ですが、
長年の時間とともに形骸化する恐れがあり、その意識を保つことが重要でしょう。


(2) 湯量に見合った施設への改修

サンパーク温泉では、わずか127.3リットル/分の温泉の湧出量にも関わらず、
大幅な入浴客数を見込んで、大型の入浴施設を建設し、
循環ろ過装置に頼ったお湯の使い回しが大きな根底にあったといえます。
先の改善計画書では、この点にも着目して、源泉の供給能力を高める改修と
一部の浴槽を廃止することを挙げています。
実際に源泉の供給能力を高めるのは簡単ではないので、
温泉浴槽の一部を廃止することが現実的な選択となるでしょう。

温泉経営者がこうしたレジオネラ感染症などに対するリスクを認知し、
浴槽施設の規模を縮小する決断はなかなかできないものです。

特に、最近では収益性を盾に、湯量に見合わない規模の入浴施設を
計画、そして営業する傾向には根強いものがあります。
(最近、循環ろ過の理由に「資源保護」という言い方ををする温泉が多いですが、
資源保護のために湧出量や揚湯量を制限している話は聞いたことがありません)

温泉は公共性の高いサービスです。
そのため、施設の規模が生み出すさまざまなリスクを意識し、
実情に見合った施設へ転換、縮小していく決断も重要な決断だと思うわけです。

■ 健康と安らぎを提供する温泉として、真に求められているものは? ■

 さて、サンパーク温泉の改善計画書に記載されている内容は、
レジオネラ菌の感染を完全に防止するという視点だけのものです。
すなわち、塩素殺菌を徹底することに主眼がおかれています。

人々に健康と安らぎを提供する温泉施設として、塩素殺菌を徹底して、
それだけで健康と安らぎを与える温泉といえるのでしょうか。
循環ろ過装置導入での塩素殺菌は欠かせませんが、
塩素自体もにトリハロメタンの問題があります。
また、温泉の源泉そのものにレジオネラ菌が繁殖していることはなく、
レジオネラ菌を持ち込むのは外部、すなわち人です。
そのため、毎日完全にお湯を抜いて浴槽の清掃を徹底すれば、
レジオネラ菌の繁殖は防げる
ものです。
温泉に求められているのは、レジオネラ菌対策ではありません。
過剰な塩素投入をどう回避するかも必要なのです。

“温泉”を守るリスクマネジメントが必要なのです。

 “温泉”が日本の文化であり、日本人の心の安らぎであることの視点に立ち、
宮崎県日向市のサンパーク温泉での事件を教訓に、
温泉施設の公共性と危機管理を考えてみることも意義深いと思いませんか。


(参考文献)
1)
宮崎県福祉保健部 「日向サンパーク温泉「お船出の湯」におけるレジオネラ症主集団感染事例報告書」、2004年2月
2)
松田忠徳 「これは、温泉ではない」、光文社新書、2004年1月



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